東京家庭裁判所 昭和33年(家)12464号 審判 1958年12月10日
申立人 広田富子(仮名)
相手方 川島郁郎(仮名)
主文
相手方は申立人に対し当事者間の未成年の子陽子の養育費として昭和三十三年十二月より毎月金二千円を毎月末日限り支払え。
理由
申立人の本件申立の趣旨及び実情は後記のとおりである。
ところで本件申立は申立人が相手方に対し当事者間の子陽子の養育費請求の調停を申立て、右調停が不成立に終つたため調停申立の時に審判申立があつたものとみなされたものであるが、まず子の養育費の審判申立につき申立人が当事者適格を有するかどうかについて判断する。
本件記録中の戸籍謄本二通によると、申立人は未成年者陽子の母であつて親権者であり、相手方は父である。そこで養育費請求は子の扶養料であるから未成年の子から父または母に対し請求することのできることは明らかである。
然しながら未成年者の養育費はつねに未成年者のみが親に対し請求し得るものであつて、子供を実際に監護養育している親から他の一方の親に対し請求することは許されないものであろうかという点について考えてみると、未成年の子の養育がその実質において扶養であるとしてもその扶養は教育を含み所謂親族扶養(民法第八七七条)とは質的に異なるものであることは一般に説かれるところである。このように親の扶養の義務は内容において親族扶養と異なるばかりでなく、一面義務の態容においても異なるものがあるように思われる。すなわち未成年の子の親はいづれの親も子と共同生活を営んで子を共同して養育するという自然的関係に基いて子に対し法律上同順位で共同養育義務を負い、その費用を分担すべき義務を有するものであるから、この関係からいづれの親も一方の親に対し養育費の分担請求をなし得る権利を保有するものであつて、この共同生活関係が失われた後においてもその子の養育に関する限り親の共同権利義務がかわるものでない。このことは父母が婚姻中は子の養育費については婚姻費用の分担として、父母が互いに右養育費の分担を家庭裁判所に請求することができる(民法七六〇条、家事審判法第九条乙類三号、家事審判規則五一条)が、離婚に際しても養育費は子の監護に必要な事項として父母が協議して定め、父母の協議が整わないときは家庭裁判所に協議にかわる処分を請求することになつている(民法七六六条)民法の趣旨からも明らかである。右協議は必ずしも離婚と同時にできるとは限らない以上、離婚後においても子が成年に達するまでは父母が当事者となつて右申立ができるものと考えられる。家事審判法九条乙類四号、家事審判規則五二条乃至五五条は離婚の場合の子の養育費の請求、子の監護に関する一切の処分として父母が申立人及び相手方となることを規定しているが、右規定は離婚と同時とは限らず離婚後の父母についても適用さるべきものと考えられる。なお、親権の内容には監護の費用の全面的負担までも入るものでないことはこれ又明らかなところであつて、親権者たる母から親権者でない父に対する子の養育費分担の請求も又許さるべきであかるら、以上いづれの点からしても申立人の本件申立につき正当な当事者適格を有するものと言うべきである。
そこでつぎに本件申立について判断すると、公文書として真正に成立したものと認められる戸籍謄本二通、真正に成立したものと認められる診断書、家庭裁判所調査官仙波覚作成の第一乃至三回の調査報告書及び同調官新保赫子作成の第四回調査報告書ならびに申立人審問の結果を総合すると次のとおりの事実が認められる。
申立人と相手方は昭和二八年八月○○日婚姻届出を了して夫婦となり、当時者間に昭和二九年十月○○日長女陽子が出生したが、昭和三二年七月○○日届出により協議離婚し、その際陽子の親権者を母である申立人と定めた。申立人は右協議離婚の成立する以前昭和二九年十一月頃実際に陽子を連れて別居していたもので、離婚後も申立人が引続き手許で養育している。子供の養育費は現在月に五、〇〇〇円(保育園費一、〇〇〇円、医療費一、五〇〇円、食費、被服費、雑費二、五〇〇円)かかり、申立人がその全額を負担しているが、申立人の収入および生活状態において右全額負担に耐えられない状況にある。すなわち申立人は現在○○○社の電話交換手として月給一八、〇〇〇円を得ているが、右月給は昭和三四年二月頃には特別手当の削減により減額される見込であり、申立人の扶養家族として陽子のほかに申立人の母と高校二年の弟をかかえており、一人当りの生活費を平均すると一人月四、五〇〇円となるが、母は神経衰弱症で、陽子また虚弱であり医者にかかること多く医療費の支出が月二、〇〇〇円位となるから実際に生活にかけられる費用はさらに低いものとなり、月五、〇〇〇円不足を来たしている。これに対し相手方の収入は相手方所有のアパート六室よりの家賃収入が全部収納されれば一二、〇〇〇円があるほか、相手方が○○○温泉に傭われ板金工として月平均九、〇〇〇円(日給三五〇円)を得ている。従つて家賃の滞納や日給による収入の不安定を考慮にいれても相手方の収入は月約二〇、〇〇〇円を下ることはない。相手方は昭和三三年四月二十七日現在の妻と婚姻し二人の間にはまだ子供はなく二人の生活費としては食費として一二、〇〇〇円、残金が雑費となつている。
以上の事実が認められる。
右事実によると相手方においても決して余裕ある生活とはいえないけれども申立人の収入および支出に比較するときはまだまだ幾分のゆとりがあるものと認められる。
そこで相手方は前掲各調査官報告書によると自ら子を引とり養育したい希望を有しているようであるけれども、申立人において陽子の監護養育することが不適当であるという事情も認められないし、また現在申立人が実際に陽子を引とり養育している以上、相手方は右養育費の分担をすべき義務があるし、前記認定の申立人、相手方の経済的情況を比較して、相手方は申立人に対し陽子の養育費として成年に達するまで月二、〇〇〇円を支払うのが相当であると判断される。
よつて主文のとおり審判する。
(家事審判官 野田愛子)
申立の趣旨
相手方川島郁郎は申立人広田富子に対し、長女陽子の養育費を支払う事の調停を求めます。
事件の実状
一、申立人と相手方は昭和二八年五月○○日より知合い、申立人の弟が適当な職業につく迄面倒をみるという条件の基に昭和二八年六月○○日に結婚式を挙げました。申立人は結婚後も引続き現在迄同一公社に務めて居ります。相手方は結婚後は態度ががらりと変つて一寸の事柄を理由に会社を休むようになり、昭和二九年七月に長年務めた会社を退職させられてしまいました。それ以後は決つた職も無く毎日遊んで居ましたが、昭和三二年三月より近所の工場へ務めて居ります。
一、申立人はその間子宮外妊娠の為に死ぬ苦しみをあじわいましたが相手方は全然よりつかず自宅に居りました。その中昭和二九年一〇月○○日長子陽子が出生しましたが、申立人と相手方は月三千円の養育費と週に一度相手方が申立人の家へ来るという約束で昭和二九年一一月より別居しました。
一、長女陽子は申立人が働いている為に申立人の母に養育された。相手方からの三千円は時には半年ももつて来ずに三千円をもらう度毎に何時も大変なけんまくです。相手方は自分の家屋を所有し、その家賃によつて一人で生活して居ります。
一、申立人の父の死後すぐに相手方の親族会議で離婚となりました。相手方でも長女陽子を申立人に渡すのだから養育費は一銭も出せないといいます。
申立人は長女の将来の為に一時金の養育費の請求の調停を求めます。